まいさいぱくちー

日本で就職→仕事辞めてフィリピンで英語の勉強→オーストラリアでワーキングホリデー→タイで現地就職(←いまここ)

一年前の今日、それは会社を辞めると上司に伝えた日。

      2014/10/19

a0006_000883一年前の今日、お盆明けの8月19日(月)は僕にとって運命の日となりました。

脱サラしてフィリピン留学、その後オーストラリアでワーキングホリデー中のしょーへー@shoufu06です。

今日は僕が会社を辞めた理由や、当時の心境について振り返ってみました。

思い出すだけでも、胃がキューっとなりますが備忘録として…。

それではどうぞ。

僕が新卒で入社した会社

僕が新卒で入社し、3年半働いた会社は東京に本社を置く、業種で言えば建設関係の会社でした。

大学時代のタイでのNGO活動やバックパックを通して、「社会インフラ無くして国の発展はあり得ない!」と考える様になった僕は、普通なら文系学生からは見向きもされないエンジニアリング会社に就職することにしたのです。

アジア地域(特にタイ)の発展に貢献する。本気でそう思っていたあの頃の自分に教えてあげたい。

貢献するのは(文系である)お前じゃなくて、理系の技術屋さんだぞと言う事を…。

じ、じんじぶだと?

面接であれほど営業志望だとごり押ししたのに、いざ入社して言い渡された部署は人事部でした。

普通、会社というところは一度配属されると数年は異動がない。このとき僕はなんとなく悟ってしまいました。

「会社を選ぶ自由はあっても、その中で仕事を選ぶ自由はどうやら僕には無いらしい。」

という事を。

ところが、僕がいた会社は新人の研修に力をいれていて、研修という名のもとに約1年半をかけて現場、設計、営業、経理など様々な部署で実務経験を積ませてもらうことができたのは不幸中の幸いでした。

そのおかげで、僕は営業には向いてなさそうだと知ることができたし、その後の人事の仕事がかなりやり易くなりました。

という訳で、僕が人事に配属されたのは社会人2年目の10月からでした。

「社会人経験3年以上」というやつ

人事部に配属されたばかりの頃は、全てが初めてで慣れないことばかり。それでも仕事自体は好きだったので、採用がピークの時は残業もそれなりにしたし、休日出勤もしました。

しかし、人事部に配属されて一年も経験すると、「このままでいいのか?」という迷いが生じ始めます。

僕が会社で実現したかったのは、「海外で働くこと」だったからです。

入社してわかったことなのですが、文系社員で海外に行ける人はほんの一握り。行けたとしても、管理職クラスの社員です。

こんなことも知らずに入社してしまった自分を責めても後悔先に立たずというやつ。

タイでの現地採用を視野に入れ、現地就職の募集案件でしばしば目にした「3年以上の社会経験」なるもののために僕は会社に留まることにしました。

3年が過ぎ、そんじゃ辞めるか。

という訳にもいきません。

社会人4年目ともなると、責任ある仕事もどんどん任せてもらえるようになり、ますます辞められない状況になっていきました。

就職するときのエネルギーも相当なものでしたが、辞めるときのエネルギーはそれを遥かにしのぎます。

会社というのは恐ろしいところで、長くいればいる程、しがらみが増えていきますからね。

でもここで一歩踏み出さないことには、絶対に後悔することは自分でもわかっていました。

今日こそ言おう。

しかし、退職を願い出るイメージトレーニングだけが完璧になるばかりで、話を切り出せない日々が過ぎていきました。

悶々としているうちに、体の調子までおかしくなっていき、これは鬱病の一歩手前まで来てしまったかもという不安に苛まれます。

そうして迎えたお盆休み。実家に帰ったときの僕は抜け殻のような感じだったらしい。

テレビをただただ眺め続けて、長い休みが終わってしまいました。

眠れない夜。決意の朝。

お盆休みの最終日。ベットに横になって頭に浮かんできた言葉。

「明日からまた単調な日々が始まるのか。」

考え始めたら、眠れなくなってしまいました。

「よし、明日こそは絶対に言おう。」

そう思うと更に眠れなくなりました。

結局、お盆明けの初日、僕は一睡もすることなく会社に向かったのです。

寝れなかったおかげで僕は会社に一番乗りできました。

部長が最初に出社してきたので、話があると一言告げ、会議室へ。

前置きも何もなく僕は担当直入に「会社辞めます」と宣言。「辞めたい」ではなく、もはや決定したことのように。

このわずか数秒の宣言のために、数ヶ月も鬱々とした日々を過ごしてきたかと思うとなんともアホくさい。

ところが、この日から僕は決死の引き止め策を搔い潜らなければならなくなりました。

辞めたいと言ってもすぐには辞められない。

まあ、予想はしていました。

なんせ僕は配属されて以来ずっと下っ端で、仕事を引き継げる後輩がいなかったのだから。

人生の舵取り

「行きたい部署に話をつけてみるから辞めるのだけは勘弁してくれ。」

僕は入社してことあるごとに海外に行きたいと言い続け、人事に配属されてからもずっと駐在に行けるよう異動希望を出し続けました。

それが、「辞める」と言ったとたんに好きな部署に行かせてくれるだと?

分かっていたことだけれど、所詮、僕の人生の舵は会社に握られていて、行き先は会社の意向でどうにでもなるんだ、と更に幻滅したのを覚えています。

僕は会社や同僚、それに人事の仕事が嫌いだったわけではありません。上司から説得される度に心が揺れ動きました。

しかし、自ら舵取りできない人生なんてもはや自分の人生じゃない。

こう思ったとき、歳をとって、挑戦しなかった事を後悔する自分が容易に想像できました。

結局、僕はフィリピン留学費用を振り込み、既成事実を作って逃げ場を無くすことでなんとか退職まで持っていくことができたのです。

部長に会社を辞めると告げてから3ヶ月後のことでした。

タイムマシンがあったら。

振り返ってみると、あのときの僕は呆れるくらいにクソ真面目だったなと思います。

次期の採用シーズンを目前に控え、自分が抜ければ採用業務は火を噴く事は間違いなかった。今までお世話になった方々を裏切る気がしてみんなに顔向けできない。申し訳ない・・・。

加えて、安定というレールから外れることへの恐怖。ニートになることで経済力や肩書きを失ってしまうのか・・・。

こんな感じで悩んでいた訳ですが、自分が抜けたからと言って会社は潰れもしないし、いちいち去っていく人間のことに気を砕くほどみなさん暇じゃありません。辞めたら辞めた人間がいない日常が当たり前になっていくものです。

タイムマシンがあったら、昔の自分に伝えてあげたい。

「一年後のお前、めっちゃハッピーだから大丈夫!」って。

最後に

フィリピン留学、オーストラリアでワーキングホリデーをする中で、僕の思考はだいぶ柔軟になったと思う。

今の僕なら、あんなに辛かった日々さえも、たかが仕事だと割り切れるかもしれない。

仕事は人生の一部にしか過ぎない。

人生の中心に仕事を置いてしまうと、大切なものが見えなくなる。

いつも自分に素直に正直に。

これ、幸せに気づくための秘訣。

では!

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